(読売新聞 2018年9月1日の記事より引用)
●悩む治療のやめ時
不妊治療がうまくいかない時、いつまで治療するかを最終的に決めるのは患者自身だ。
自分の心に折り合いをつけるのはなかなか難しい。
神奈川県の会社員(43)は治療の末に40歳で第1子を出産後、第2子の治療を始めた。
「1人目を同じ頃に産んだママ友が次々と2人目を産み、諦められなかった」。
治療はうまくいかず、2人目への執着は薄れつつあるが、診察券は捨てられない。
大阪府の看護師(42)は「もう最後」と12回目の胚移植を受けたところ、初めて妊娠。
流産したが、「母になりたい」との思いが強まり、体外受精や人工授精を続けた。
しかし、1年半取り組んでも妊娠に至らず、昨年治療を終えた。
●経験糧に新たな道模索も
不妊と格闘した経験も糧に、治療後に新たな道を踏み出した人たちもいる。
「不妊治療は努力しても成功しなかった。初めての挫折でした」。
44歳で治療を終えた東京都の小安美和さん(47)はこう振り返る。
旅行サイトの編集長や中国での単身赴任など華々しいキャリアを重ねてきた。
その分、治療は39歳からと遅れた。
しかもその後、勤務先の分社化に伴い、求人情報サービス会社の執行役員に就任。
激務の中で通院時間を捻出したが、医師から「もう妊娠は難しい」と言われ、受け入れた。
治療終了後、「私は何のために生きているのか」と自問した結果、前から温めていた独立計画の実行に踏み切る。
前職でも手がけた女性の就労支援を行う「Will Lab(ウィルラボ)」を起業。
現在、横浜市の女性リーダー育成や兵庫県豊岡市の主婦の就労支援などに奔走する。
自分が苦悩した不妊治療と仕事の両立への関心も高い。
この議題で7月に都内で開かれた企業関係者ら向けのセミナーで司会を務め、「個人の問題ではなく社会の課題として提起すべきだ」と語り、活発な議論を喚起した。
神奈川県の渡辺雅代さん(47)は、30代から続けていたヨガに救われた。
34歳で結婚。
ほどなく治療を始めたが成果は出ず、心身が疲弊した。
それまで週1回ほど通っていたヨガを毎日自宅で行うようになると、ゆとりが生まれた。
40代前半で2回自然妊娠したものの、流産。
その後、ヨガを本格的に学ぶことを目標にすると、「子どものいない自分でもいいのでは」と思えてきたという。
渡辺さんは今春、不妊患者らを支援するNPOFineが認定するピア・カウンセラーの資格を取得。
ヨガの指導者という強みを生かし、「妊活ヨガセラピスト」として活動する。
10月には、不妊治療専門の看護師らに、ヨガを通じて患者のストレスを軽減する方法を教える予定だ。
「自分の経験が他の人の役に立つ時、自分も癒され、喜びを感じます」と笑顔で語る。
自身も不妊治療のやめ時に悩んだキャリアコンサルタントの中辻尚子さん(47)は、「不妊治療では、努力が報われないという想定外の事態に、従来の価値観が崩れることがある。流産などの喪失体験ではつらさも深い」と指摘する。
ただ、治療を終えても、大半の人は働き盛り。
人生は続いていく。
「妊活中も、これまで取り組んで楽しかったこと、大切にしてきたことを手放さないようにし、この期間をブランクにしないことが今後につながる」と中辻さん。
治療中から自分と向き合いつつ、その先の人生も考えたい。
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(人工授精・体外受精・顕微授精)
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