(読売新聞 2023年2月12日の記事より引用)
●日本の出産事情
お産の在り方は、単に医療体制の問題ではない。
その国の文化や価値観を色濃く反映している。
日本の特徴としてよく語られるのが、痛みへの対応だ。
米国やフランスではお産の7~8割が、麻酔薬で痛みを緩和する無痛分娩で行われている。
一方、日本では1割に満たない。
なぜ日本では無痛分娩が普及しないのか。
助産学、医療人類学双方の見地から研究を続けてきた神奈川県立保健福祉大准教授の田辺けい子さんは、「突き詰めれば、日本社会が、女性の痛みに関心を寄せてこなかったからです」と指摘する。
今もなお、女性や医療者を縛る「痛みを乗り越えて母になる」との言説は、なぜ世に広まったのか。
時代とともに変容する、お産の痛みを巡る課題を聞いた。
(医療部次長 中島久美子)
●「痛みを乗り越えて母になる」。女性を縛る根拠なき言説
研究の原点は、助産師1年目の1992年にさかのぼります。
就職した「愛育病院」は当時、大使館が立ち並び、外国人が多く住む東京・広尾にあり、様々な国の妊婦を受け入れていました。
特に欧米の妊婦は「薬で痛みをとるのは当然」との感覚で、要望に応じて無痛分娩を提供していました。
ある日、日本人女性が、外国人の夫の希望もあり、無痛分娩で出産しました。
その際、担当した先輩たちの会話に驚きました。
「痛みから逃げて、ちゃんと子育てできるのかしらね」「心配だよね」。
そんなやりとりでした。
無痛でも自然分娩でも、妊婦の選択を尊重するのが当たり前と思っていましたが、先輩たちは、日本の女性が出産の痛みを避けることに厳しい目を向けていました。
医療者の場合、無痛分娩が普及しない理由を、麻酔科医不足など医療提供体制に結びつけ、安全面の議論ばかりに帰結しがちです。
私は、国際色が豊かな愛育が初任地だったから、文化や価値観を比べる視点で研究を進めることができたのでしょう。
無痛分娩の歩みは、各国の女性解放運動と深く関わっています。
米国で60年代から始まった第2波フェミニズムは、性や生殖の権利が大きなテーマでした。
男性医師が中心だった産科医療を問題視し、「女性の身体を自分たちの手に取り戻す運動」になったのです。
ただ、当時の無痛分娩は、麻酔を効かせた半覚醒状態で出産するのが一般的でした。
目覚めたら隣に我が子がいる。
「自分の身体で産んだ感覚がない」として、受け入れられませんでした。
ほどなくして、意識を鮮明に保ったまま出産できる「硬膜外麻酔」が広がり始めると、評価は一変します。
「女性だけが痛い思いをすること」への反発も相まって、無痛分娩は広がっていきました。
一方、日本でも70年代に女性運動が盛り上がりましたが、無痛分娩に対する受け止めは、米国とは異なりました。
薬を使うことを良しとせず、極力、医療の介入を受けずに自然に任せて産むことが「自分の身体を取り戻す」ことだと、運動家たちは考えたのです。
代わりに支持されたのが、「ラマーズ法」など自分で痛みをコントロールする出産法でした。
陣痛の波に合わせて「ひっ、ひっ、ふー」の呼吸を繰り返し、痛みを和らげることを狙うものです。
助産師たちも、自然な出産を支持しました。
背景には、日本のお産事情の変化があります。
50年には90%超だった自宅での出産が、70年には4%以下に減りました。
お産の場が急速に、病院や診療所に移り、医師が管理するお産が主流となったことで、助産師は存在意義を問われました。
痛みに苦しむ妊婦の腰や背中をさすり、呼吸や姿勢でラクにさせる。
産婆の時代から受け継がれた手技を発揮する機会を奪われかねないという懸念があったのでしょう。
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